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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和28年(ネ)44号 判決 1956年2月20日

控訴人 福井鉄道株式会社

被控訴人 福越興業株式会社

補助参加人 木脇孝三

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金四万二千百五十円及びこれに対する昭和二十四年二月二十日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その二を被控訴人の、その余を控訴人の負担とする。

事  実<省略>

理由

被控訴会社が石炭の採掘、販売等を営業とし、控訴会社が電気鉄道による旅客及び物品の運送等を営業とするものであること、及び昭和二十三年九月十日午后八時前後頃控訴会社の使用人である電車運転手木脇孝三が控訴会社所有のモハ第六十三号電車(武生新駅発福井駅前駅行)を運転し福井新駅を発車して次の藤島神社前停留場に向う途中、通称「木田四ツ辻の線路のカーブ」の部分を通過してから後、その電車が被控訴会社所有の貨物自動車(福井第千二百三号)に追突し、そのために該自動車が損傷を蒙つたことは当事者間に争のないところである。

そこで本件事故の原因について考えてみるに、

成立に争のない乙第一、一号証、原審証人雪吹茂(第一回)、同高島補(第一、二回)、同吉田国丸、同齊藤今朝吉、同佐藤之夫、当審証人齊藤今朝吉、同川崎松次の各証言、原審並びに当審における被控訴会社代表者訊問の結果、原審における被告木脇孝三本人の供述の一部、原審における検証の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  控訴会社の電車軌道は、右木田四ツ辻の線路のカーブの部分より藤島神社前停留場に至るまでの間においては、福井市内の人家、商店等が密集している同市氷川町四十五番地長慶寺附近一帯を、しかも同寺境内の東横に沿うて、まつすぐに南北に貫通する街路(それは国道十二号線であつて、幅員は約二十米あり、そのうち中央の約十六米が車道、その両側各約二米がそれぞれ歩道となつており、右街路の両側には、長慶寺や人家、商店等が立ち並んでいる)の車道の中央約八米の部分の軌道敷上に線路四本をもつて所謂複線式に南北に敷設されているものであつて、福井新駅を発車した電車は、結局において東方より西方に向つて進行した上、叙上の木田四ツ辻の線路のカーブの部分に出て、そこで円弧を画き約九十度彎曲して北方に向い、右街路の前記線路中西側の二本の上をまつすぐに疾走し、右カーブの部分より北方百九十米の所にある木田四ツ辻を通過し、更に百二、三十米進行して藤島神社前停留場に到り、引き続き同様の街路上を北進して福井市の中央部に到達するものであること。

(二)  本件事故が発生した昭和二十三年九月十日は、同年六月二十八日の福井地方大震災の直后であつて、まだ復興していなかつたために、右街路及びその附近は、著しく混乱荒廃しており、右街路の歩道上にも、車道の軌道敷以外の部分にも、所々方々に倒壊家屋の古木材、古瓦等が類積しており、且つ道路面及び軌道敷面のでこぼこが甚しく、しかも附近には外灯の設備がなく、屋内灯の光で屋外に洩れて来るものさえも稀であり、その上同日は雨天であつたために、同日午后八時頃は(同日の日没は午后六時十一分)右街路上は全く暗黒であつたこと。

(三)  叙上の被控訴会社所有の貨物自動車は当夜被控訴会社の仕事として、その使用人である運転手齊藤今朝吉が運転し、助手佐藤之夫と荷主吉田国丸及びその子息が同乗し、吉田国丸所有の長物の家屋建築用木材約二トン半を荷台の後腕を下げ横腕の高さ位まで積載して、右街路の車道上を南より北に向つて進行し、しかも前記のような街路上の障害物を避けるためにやむを得ず軌道敷上を走り、木田四ツ辻を通過して北進していたとき、長慶寺境内東横の右街路上で、突如としてバツテリーの配線が切断して、前灯尾灯その他の電灯が消え、エンジンが発動せず、運行不能となつて停車しそうになつたので、齊藤今朝吉は自動車が軌道敷上に停車することを避けるために、これを西北に向け惰力を利用して少々運転したところ、自動車は西北に数米進行して、その車体はほぼ軌道敷上をはずれたけれども、積荷の木材に荷台の長さよりも長い物があつて、その木材の後方が一米ばかり荷台の後部より車体外に突出していたために、その木材の後方が西端の線路の上方附近まで突出しているという状態で、右の木田四ツ辻より約三十八米(即ち前記線路のカーブより約二百二十八米)北方の地点において自動車が停車したこと。

(四)  齊藤今朝吉は車内も附近も全く暗黒であつたから、その時はまだ故障がバツテリーの配線の切断であることを確知せず、取り急ぎ佐藤之夫をして東側の春日電器商会に電池を借り受けに赴かしめるとともに、みずからは車体の下にもぐり込んで故障個所を取り調べていたところ、自動車が停車したときから四分位経過したころ、佐藤之夫がまだ戻つて来ない間に、前記電車が東方より叙上の線路のカーブの所に轟音を立てて現われ、そのカーブを廻り切つて北方に向つて進行して来たので、齊藤今朝吉は驚いて早速車の下から飛び出して南方に向つて少々走つて行き、軌道敷の西側横附近で、電車に対して両手を挙げて合図をしながら、大声で「オーイ、オーイ」と叫んで停車方を要求したこと。

(五)  右電車にはヘツドライト(百ボルト、百ワツト)が一個取り付けであつたけれども、当時は震災直后の混乱時で電圧が相当低く(三百ボルト位)、従つてヘツドライト自体が著しく暗かつたのと、当夜は附近が真暗で、しかも霧のような小雨が降つていたために、電車の運転手席よりの前方の見透しは、直線コースで約十二米前方までしか及ばなかつたのであるが、木脇孝三は右のカーブを廻り切つてしまつてから後は、時速十六キロメーターの速度で電車(その時の乗客は十五、六名位)を運転して北進し、齊藤今朝吉の叙上のような合図には暗黒や電車の騒音等のために気附かないで進行し、右自動車までの距離が約十二米となつたとき、電車のヘツドライトの光に照し出されて、停車している右自動車を雨の中にかすかに発見したので、驚いて即座に急停車の措置を講じたけれども及ばず、ついに電車の左前部を自動車の車体の後方から突出していた前記木材の後部に衝突するに至らしめ、因つてその木材が自動車の荷台を押し動かし運転台を突き、自動車全体を激動させて前方に三米程押し出さしめ、その結果自動車が損傷を蒙つたこと。

以上の認定にていしよくする被告木脇孝三の供述部分及び当審証人佐藤之夫の証言は措信しない。

次に原審鑑定人福増正勝の鑑定の結果によれば、前記電車が時速十六キロメーターの速度で進行している場合に、(イ)晴天好条件のときは、急停車の措置をとつた地点から十四米進行して停車するものであり、(ロ)小雨混りの天候の条件のときは、急停車の措置をとつた地点から十五米乃至十七米進行して停車するものであり、(ハ)本件事件発生現場附近は、線路が南より北に向つて千分の二乃至三の下り勾配になつているため、小雨混りの天候の条件のときは、急停車の措置をとつた地点から十六米乃至十八米進行して停車する状態であることを認定することができる。

およそ、電車が人家、商店等の密集している市街の従つて人車の往来がある街路上を、しかも外灯等がなく且つ雨天で全く暗黒な夜間、疾走する場合においては、その運転手は、急停車の措置をとれば、その措置をとつた地点より電車のヘツドライトによつて十分に見透しの可能な距離の範囲内において確実に停車し得る程度の速度で電車を運転し危害の発生を未然に防止すべき注意義務があるものと解すべきである。けだし、そうでなければ、運転手が前方の線路上に障害物を発見し即座に急停車の措置を講じても、電車は常に必ずその障害物に衝突するという結果を惹起するからである。今これを本件について見るに、前記認定によつて明かなごとく、本件電車のヘツドライトによつて見透し得た距離は、僅かに十二米位であつたにもかかわらず、木脇孝三は右の注意義務を怠り、急停車の措置を講じてもその地点から少くとも十六米以上も進行しなければ停車するに至らない時速十六キロメーターという速度で、漫然と電車を運転して行つたものであるから、木脇孝三は本件事故について、この点において過失があつたものといわなければならない。

控訴兼参加代理人援用の乙第三号証の判決は、本件と具体的事情を異にしている場合に関するものであり、とつてもつて本件の場合を律する訳にはゆかない。

控訴兼参加代理人は、軌道運転信号保安規程第十八条に照し、木脇孝三が十六粁の速度により電車を運転したことは違法ではないと主張する。なるほど、大正十二年十二月二十九日鉄道省令第五号(昭和二十九年運輸省令第二二号により廃止)軌道運転信号保安規程第十八条には「併用軌道に於ける車輛の運転速度は動力制動機を装置せる車輛に在りては一時間平均二十五粁、最高三十五粁、その他の車輛に在りては平均十六粁、最高二十四粁を超ゆることを得ず」と規定されている。しかしながら、右は該規程自体に徴して明かなとおり、平均速度及び最高速度を規定したものであつて、これに従う限り、いついかなる場合においても運転手に過失がないとするものではない。運転手は右速度の制限内において、機宜に応じて適度に減速して危害の発生を未然に防止すべき義務があることはいうまでもないところであるから、控訴兼参加代理人の該主張は理由がない。

更に、控訴兼参加代理人は右軌道運転信号保安規程第二十条に依拠して、電車のヘツドライトは照明用に用いられるものではなく、電車の前頭に標識として設置されるものである、と主張する。そして、右規程第二十条には同代理人主張のとおり「車輛には夜間左の標識を掲ぐべし云々」と規定されており又当審証人立田芳広、同牧田長蔵の各証言によれば、電車の前照灯は車馬や歩行者に電車の進行していることを認識させるための標識灯であることを認めることができる。しかしながら、電車のヘツドライトが標識灯の作用のみではなく、夜間電車が進行中その進路が暗黒であるとき、軌道内にある障害物を発見するためにも使用されるものであることは、右立田芳広の証言からも窺知されるところであるから、控訴兼参加代理人の該主張もまた理由がない。

従つて、木脇孝三はその過失によつて電車を自動車に追突するに至らしめ、その結果自動車を損傷して被控訴会社に損害を生ぜしめたものであり、控訴会社は使用者として木脇孝三がその事業の執行について被控訴会社に加えた該損害を賠償する責に任ずべきものといわなければならない。

よつて、進んでその損害の額について考えてみるに、原審証人山田茂由(第二回)の証言によつて成立が認められる甲第一号証、原審証人雪吹茂(第一、二回)、同高島補(第一回)、同齊藤今朝吉、同佐藤之夫、同山田茂由(第一、二回)の各証言、原審における被控訴会社代表者訊問の結果を綜合すれば、右自動車は前記衝突によつて、運転台が前方に傾斜し、運転台の後柱が折れ、その窓ガラスが割れ、右ドアがしまらなくなり、馬が傾き、ハンドル、メーター板、エンジン取附部分その他の場所がいたみ、荷台の枠がゆがみ、バンバーが曲る等の損傷を蒙り、これ等の損傷を修繕するために、被控訴会社は山田茂由が経営する福井市の山田自動車修繕工場に依頼して、昭和二十四年一月十一日より別紙目録記載のとおり修繕し、その后右修繕費用として合計金四万二千百五十円を支払つたことを認めることができ、右認定にていしよくする原審証人吉田国丸の証言、原審における被告木脇孝三本人訊問の結果は措信しない。

次に、被控訴代理人主張の休車による得べかりし利益の喪失即ち消極的損害について検討するに、右は所謂特別の事情により生ずべき損害と解すべきところ、木脇孝三が震災直后の福井市内の街路上を電車を運転していたという事実のみからは同人が右衝突当時右の特別事情を予見し又は少くとも予見することができたはずであることを推知する訳にはゆかず、その他同人が該特別事情を予見し又は予見し得べかりしものであつたことを肯認するに足る確証がない。従つて、被控訴代理人の該主張はその他の点を判断するまでもなく失当である。

そこで、最后に本件事故の発生について被害者に過失があつたかどうかについて考えてみるに、

控訴兼参加代理人は「自動車運転手等は、電車が木田四ツ辻の線路のカーブにさしかかる前に電車に対して急を報ずるか、或は又福井新駅に即時通報するか、そのどちらかの方法をとるべきであつたにかかわらず、この方法をとらなかつたのであるから、本件衝突については自動車運転手等に過失があつたものである。」と主張するけれども、本件自動車が停車した時から電車が前記線路のカーブの所に現われた時までの時間は、僅かに四分位であり、右の停車した場所と右カーブとの距離が二百二十八米位もあつて、軌道敷面のでこぼこが甚しく、しかも附近は全く暗黒で霧のような雨が降つていたという前記認定の事実と原審における被控訴会社代表者訊問の結果によつて明かなところの当時は震災直后の混乱時であつて本件衝突現場附近には電話もなかつた事実とに徴すれば、控訴兼参加代理人主張のような方法をとることが当夜可能であつたものとは到底思われないので、該主張は採用することができない。

次に、自動車運転手等が本件自動車を後押してこれをその前方に一米程移動させ、もつて木材の後方と電車との衝突を避けることが可能であつたかどうかについて検討するに、原審における被控訴会社代表者訊問の結果と原審における検証の結果とを対照して考慮すると、本件貨物自動車は、積荷がなく且つ平地であれば、大人二人が後押して十分にこれを動かすことができ、二トン半の積荷がある場合においても平地であれば、大人四人が後押してこれを動かすことができたものであり、右自動車が停車した現場は平地であつて、その自動車の前方一米位の所には特段の障害物もなく、しかも自動車には運転手等四名が乗車していたのであり、且つ附近は人家であつて他の一、二名の者の応援を求めることもなお可能であつたから、それ等の者が協力して直ちに自動車を後押すれば、電車がその現場に到達するまでの四分以上もの時間中には、自動車をその前方一米位は移動させて木材の後部と電車との衝突を避けることができたものと思料されるところ、前記認定のとおり齊藤今朝吉は自動車が停車するや、佐藤之夫をして電池を借り受けに赴かせるとともにみずからは平素と同様に車体の下にもぐり込んで真暗な中で故障個所を取り調べるという方法をとつたのであるから、本件衝突を招来したことについては、齊藤今朝吉にも亦過失があつたものといわねばならない。

しかしながら、既に認定したとおりの当夜の四囲の状況、本件自動車が停車した時から本件事故発生に至るまで時間的に切迫していた点、その他諸般の事情を考慮すれば、本件損害賠償の額を定めるについて、齊藤今朝吉の右過失を斟酌しないことが相当であると思料する。

以上の次第で、控訴人は被控訴人が蒙つた積極的損害である右金四万二千百五十円を賠償すべきものであるから、被控訴人に対し右金員及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが本件記録に徴し明かな昭和二十四年二月二十日から完済に至るまで年五分の割合による法定遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて、被控訴人の本訴請求は右認定の限度において正当であり、他は失当として棄却すべきところ、右と異なる原判決はこれを変更することとし、民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第九十二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石谷三郎 岩崎善四郎 山田正武)

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